【スティング名曲コンサート】悪名高きリチャード3世喚起? 英国カーディフ城の夜空に響く 

コンサート情報

2023年7月2日にイギリスのカーディフ城でスティングがコンサートを行いました。もちろんマイ・ソングズツアーの一環ですね。

カーディフ城(Cardiff Castle) はイギリスのウェールズの首都、カーディフにあるお城です。
カーディフ城の門をくぐると、ノルマン式城塞と、

カーディフ城、起源がなんと1世紀!

カーディフ城の起源が1世紀までさかのぼります。ローマ人がそこに砦を建設しました。カーディフ城内には、いまでもその城壁の一部が残っています。

約2千年前にローマ人によって建設されたのが起源と言われています。その後イギリスがノルマン人に征服されて修復されたそうです。

このお城の敷地内にある要塞ですが、典型的なモット&ベイリー城(Motte-and-baily)、つまり、モットと呼ばれる自然小高い丘もしくは人口の盛り土(Motte)の上に築き、その周囲に木製の防御壁がありお庭(Bailey)を囲んでいるというスタイルの要塞になっています。

そしてこのお城のほうなのですが、城主たちがすごいです。ウィリアム1世の長男、ロバート・エドワード2世の寵臣でのちに処刑された、ヒュー・ディスペンサー。

ばら戦争時代のキングメーカーと言われた、リチャード・ネヴィル。そして・・・・


悪名高いリチャード3世とカーディフ城

ばら戦争といえば、リチャード3世? も非常に有名かと思います。悪名高いと言われていますが。。真相はいかに・・・とりあえずそのリチャード3世の王妃の実家であるネヴィル家が婚姻で得ていた財産であるそうなのです。

そして、そのカーディフ城にはステンドグラスが出口付近にあり、リチャード3世が絵が描かれています。

そんな素敵なカーディフ城でひらかれたコンサートは、マイ・ソングスツアーの一環です。
そしてメガヒットの嵐、スティング名曲が響き渡る・・・
(スティング:マイ・ソングズを詳しく知りたい方はこちらへ⇒💛をクリック

リチャード3世といえば、300年以上にわたってイングランドを支配したプランタジネット調の最後の王。また戦争で命を落とした最後のイングランド国王。

今回のスティングのコンサートのあったカーディフ城。素晴らしい景色をコンサートでみせてくれていました。歴史のパワー。

そのリチャード3世が城主だったということで・少し思いをはせて・・、少しだけ紐解いてみたいと思います。美しいだけじゃない・・歴史。

そしてその時代にもあった音楽、を感じながら・・リチャード3世。

彼は即位からわずか2年後の1485年、ばら戦争の最終決戦となったボズワースの戦いに敗れわずか32歳で死亡しました。その彼が、この城の城主だった。そして王妃の実家であるネヴィル家が婚姻でこのお城を財産として得たそうです。

悪名高いリチャード3世ですが、現代の研究ではリチャード3世を倒して台頭したテューター調によって、本来の姿が歪曲されているということがわかっていますが・・

リチャード3世の遺骨、背骨が横にわん曲・・ですぐわかった? イギリスのレスター駐車場から発見

そして2012年9月5日、リチャード3世の遺骨が、イギリスのレスター駐車場から発見!びっくりでした。

これもある女性歴史家の働きかけです。2009年から始まったリチャード3世の遺骨を探すための一大プロジェクト「Looking for Richard (LFR)」があったおかげです。すごいニュースでした。DNA鑑定を行い、確認が取れたということです。

あの、歴史の教科書のリチャード3世とは驚きです。


リチャード3世って?

私の印象にのこっている、リチャード3世といえば、(めちゃくちゃお話流ですみません。まあ、私の知っている限りのフィクション程度によんでくださればと思います)

リチャード3世の お兄ちゃんが19歳で王様になった。彼が8歳の時。そして彼はグロスター公爵位が、お兄ちゃんから与えられた・・(グロスターという地名にちなんだ公爵位)

お兄さんかな、、19歳なので。彼にとって8歳の弟は、ばっちり信頼がおける弟だったお様です。いい子だったと思います。そして、お兄ちゃんに忠誠を誓う弟リチャード3世。まじめだと思います。

そしてめきめきと軍事的才覚を見せていったリチャード3世。11歳から軍事会議に参加!

でもお兄ちゃんはといえば、実権が実はなく、女性と遊ぶことでうっぷん晴らしをしていたそうです。そして敵対するランカスター派の年上の未亡人、エリザベル・ウッドヴィルと人に知られる前に結婚!!大胆なお兄様!

その時に実験を握っていたウォリック伯に王位を追い落とされます。というのも、ウォリック伯は実権を当時は握っていて、お兄さん、つまりエドワード4世のフランスとの婚姻を準備していたんですね。しかしエドワードは、敵対するランカスター派の女性と結婚!ウォリック伯大激怒。それで王位から落とされたというわけです。

それでもお兄さん大好きのリチャード3世。彼の力量で王位奪回しちゃいます。

でもエドワード4世のお兄ちゃん!40歳の若さで、肺炎を直接の死因として他界。実のところは、結構肥満体で、女性関係がみだれていて、いろいろ病気があったとか・・

そして弟のリチャードはといえば、お兄ちゃんが復位した翌年に、あの実権を握っていたウォリック伯の娘のアンと結婚して、息子を授かっていました。そして、その仕事ぶりに彼の周りからの信頼は厚かったそうです。

しかしお兄ちゃんのエドワード4世、しっかりしてます。「エドワードが戴冠するまでの国王代理、および成人するまでの後見人(護国卿)はリチャードを指名する」という遺言を残していました。
リチャードのことを信頼していたのですね。リチャードすごい!。悪名高いどころか評判ばっちりです。

しかし王妃の親族のウッドヴィル家が良しとしませんでした。王妃の一族から後見人をたてて、エドワード5世の戴冠式を、エドワード4世の死がリチャードに伝わる前に終わらそうとしたんです。

どうして・・・奥様!!王妃ですが・・・私は一瞬考えましたが・・夫の遺言きいてあげてよ・・・といっても派手に女遊びをしていた夫ですから・・・息子一筋だったのかもしれませんね。わからないでもありません。(笑)

そしてリチャードが王になっちゃうんです。結論はやすぎましたね~。ごめんなさい。

つまり、リチャードは、これ以上ウッドヴィル一族に好き勝手させるわけにいかない・・と一大決心をして、彼のすごい戦略でリチャード3世自身が王になったというわけです。

その戦略とは・・簡単に私の超あらい理解ですと・・お兄ちゃんの奥様、王妃に、エドワード5世に忠誠を誓うと手紙を送り、王妃を安心させて、エドワード5世がロンドンに行く途中でエドワード5世の側近をとらえて、エドワードの護衛として堂々とロンドンに進みそのままロンドン塔に幽閉。

身の危険を感じた王妃。エドワード5世の弟、10歳を連れてウェストミンスター寺院に逃げ込みますが、10歳の王位継承権を持つ次男もロンドン塔に送られます。

その後の二人は消息をけしますが、いろいろ所説がありますので・・・私はリチャードが単純に殺害命令をだしたとは・・わかりませんとしておきます。

しかし、エドワード4世の王妃だった、二人の母親は息子たちとは二度と会うことはありませんでした。

そして、リチャードは、エドワードが重婚をしていたとして、(裏付けなし)、王妃との婚姻を無効として、自分が王様となったとさ・・・。 すごい行動派でもあり、やり手でもある頭の切れるお方だと思います。

もちろんこういう荒手を使うかたなので、リチャード自身が王になることに異議を唱える反対派もいたようです。そして立ち上がったのが、ヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)という人物。直系ではありませんが、ランカスター家の血を引いていました。

ヘンリーのお母様は、エドワード3世の愛人の家系だったので、ヘンリーには王位継承権がなかったのです。エドワード3世の死後、即、エドワード4世が継ぐ、となっていたわけです。

そしてこれをチャンスとみて、何度もリチャードに攻撃を仕掛けてきました。

リチャードはそんな中、病弱だった一人息子が他界してしまいます。そして息子を追うように妻のアンも結核で死去。

そこでリチャードは、ヨーク家とランカスター家の因縁の戦いに決着をつけるとして、立ち上がることを決意します。

ヘンリーがウェールズに入ったことが、リチャードに知らさせると、レスターから20キロほど離れあの有名なボスワーズ平原で対決。

リチャードは勝利を確信していました。リチャード軍訳万、ヘンリー軍訳5千人。戦闘準備もばっちり。経験と自信がゆるぎないものでした。しかし・・・

ノーサンバランド泊が裏切ってしまう・・そして、
援軍が来るのを目に・・その援軍のスタンリー卿も裏切り・・足を進めない・・

リチャードは「ついてこれるものは来い!」と一直線にヘンリーに向かったそうです。さすがです。

そして、リチャードがヘンリーにあと一歩というところまでせまったところに、なんと現れたのが、スタンリー卿軍。彼らがリチャードを包囲。馬から引きずり下ろし、数他の剣と斧の前に倒れたといいます。

享年32歳。在位期間わずか2年。遺体は当時の慣習だったそうですが、丸裸にされた後、両手を縛られた除隊で馬にのせられ、2日間衆目にさらされたそうです。

何か考えさせられてしまいました。

そんな歴史上の大人物も城主となっていた時期があるこのカーディフ城。

地理的には、ロンドンから約3時間ほど電車でかかるのですが、このカーディフ城のあるウェールズ地方に入ると、ロンドンとは全く違った風景を楽しむことができます。

私がロンドンを訪れたときは、なにか、東京とシステムが似ている? 東京のヨーロッパバージョン?という感覚だけですが、なぜか感じしました。

しかしこのウェールズ地方は全く異なります。このウェールズ地方はイギリスの中で面積当たりのお城の建築数が多いといわれている場所です。カーディフ城もその1つ、建築的には素晴らしく美しい場所です。まったく日本とはつながりがないところだと・・・ところが。。


カーディフ城の地下に日本の国旗。ビルマで戦った日本兵の実筆・・

とってもヨーロピアンの典型かなあと思われるようなゴージャスなインテリアを見学することもできるカーディフ城。歴史に思いをはせながら・・きれいだなあって、

そしてそのカーディフ城のショップ&カフェスペースの下の地下が博物館!

実は地下が、ウェールズ軍事の博物館 になっています。そこに、なんど、第2次世界大戦時に英国の陸軍の南ウェールズ部隊が日本軍とビルマで戦ったという歴史の遺物が展示されています。

そのビルマでの戦いの際に持ち帰られた、日本兵の制服と日本の国旗が展示されており、その国旗に日本兵の方々の名前が書かれているんです。

私としては何人、つまりどこの国の人、というのは、スティングの音楽観と同じで、そこまであまりこだわりたくないというのが本音です。生まれた国は愛し、誇りに思うべきだと思います。

しかし愛国精神は他国を排他することにはならない。だから、国という縛りで。人々の間に線を引くのが良い悪いではなく、単純にすきではありません。

良い人であれば、私は”良い魂の地球人”という線をひくのは好きですけど・・💛・

悪いという言葉は私は好きではないのですが、ある意味、発達途上の魂たち・・ではないかと思うのです。

人殺しでも時に、逃げ惑う。なぜって、自分を愛しているから・・と斎藤一人さんのYoutubeから学びました。まったくそのとおりだと思います。

つまり人殺しでも愛は持っているわけです。

エネルギーフィールドから生まれた生き物の、人間だと勝手に思っている私ですが、
だから私はそのエネルギーの意識を大元の神様と、まったく勝手に思っています。

そのお手伝いをしている多くの精霊たち・・・神様とも呼ばれている魂、というか意識たち。

・・人間の世界でいえば、そのエネルギーフィールドの子供という表現になるのでしょうか。

話が飛びすぎました。ごめんなさい。

戻して・・・このウェールズでビルマで戦った日本軍の持ち物とイギリスのカーディフ城で出会うは・・

ビルマは19世紀以来、イギリスが植民地支配していたところ。1941年の太平洋戦争開戦後間もなく、日本はビルマへ進行し、全土を制圧しました。

連合国軍は一旦は退去したものの、イギリスとアメリカと中国は反攻に転じ、1945年の終戦までにはビルマのほぼ全土を奪回。

日本人の戦没者18万名にたっしたといわれています。勝利したイギリスとアメリカ。最終的にはイギリスはアジアから撤退。そしてビルマが1948年に独立しました。

めちゃくちゃ簡単に歴史のおさらいをしたのですが・・・
イギリスのウェールズの兵士が日本兵士と戦っていたのですね・・・

戦い。。となると、どちらが勝って、どちらが負けた・・ゲームならそれでいいのですが、戦争で命を奪い合って、何か支配するものと、支配されるものを、如実に感じるのはあまりすきではありませんが・・

これも、もう二度と戦争をしない・・もう二度と・・

そしてスティングのコンサート、マイ・ソングス (MY SONGS)で、スティングの名曲が響き渡る・・・(スティング:マイ・ソングズを詳しく知りたい方はこちらへ⇒💛をクリック

その素晴らしいセトリで響いたスティングの世界観あふれる名曲。
彼の名曲が国境を超えるものであってほしい・・と思うのは私だけでしょうか。

そしてあのブロンディが、スティングの息子 ジョー・サムナーとともに出演しました。

まずスティングの長男ですね。ジョー・サムナーが演奏しました。そして、次にブロンディ。そして夜の9時を過ぎてやっとスティングのパフォーマンスが始まりました。

ウェールオーズのファンたちと簡単な会話を交わして、彼のお友達がこの地方の方言を教えてくれたんだと語ってくれました。

そして90分のショーの中には、キング・オブ・ペインが歌われ、その時にジョー・サムナーも加わりました。

スティングのセトリは・・・

Message In A Bottle
Englishman In New York
Every Little thing She Does Is Magic
If You Love Somebody, Set Them Free
If I Ever Lose My Faith In You
Fileds Of Gold
Brand New Day
Heavy Cloud But No Rain
Shape Of My Heart
Why Should I Cry For You
All This Time
Walking On The Moon
So Lonely
Desert Rose
King Of Pain
Every Breath You Take
Roxanne
Fragile

でした。
少し短めのセットリスト。

スティングの息子のジョー・サムナー、ブロンディ、そしてスティングでしたかた、時間てきにも90分で少し短めでした。スティングの最新アルバムからの曲は残念ながら1曲もありませんでした。

素晴らしい景色とオープンエアーを感じ、歴史を感じ、スティングのメガヒットのオンパレード最高のコンサートでした。



 

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