【スティング×ポリス初来日ד銭ヤッタ揉んだった?” Zenyatta Mondatta”──京都大学西部講堂事件から火花散るグラミー2冠の奇跡】

音楽情報

京都で巻き起こされた“事件”と音の火花

1979年から80年にかけてのワールドツアーで初めて来日したポリス。

1980年2月20日に京都大学西部講堂で激烈なステージを披露

外国バンドとしては異例の熱量とファンの熱狂を呼び起こし、
「まさに事件」と称されたその瞬間が、
バンドにとって音楽的覚醒の火種となったのです 。


奇跡のリリースとグラミー2冠の栄耀

初来日から半年を経た1980年10月3日、
ポリスは第3作目のアルバム『Zenyatta Mondatta』を
リリースしました

タイトルは「銭ヤッタ揉んだった?」と
聞こえるような造語で音の響きを楽しんだもの。

その結果、「Don’t Stand So Close to Me」で
Best Rock Performance、
「Behind My Camel」でBest Rock Instrumentalと、
グラミー賞2冠を達成し、一気に世界的アーティストへ飛躍しました。



つまりスティングは1981年の2月7日は、
なんと日本に来日していたんですねえ。。

これがスティング、ポリスメンバーとしての初来日。

ポリスの初来日は、1980年2月!

当時、彼らはあるポリスのアルバムのプロモーションの
一環としてして、日本に来ていました。
後にリリースされる「ゼニヤッタ・モンダッタ」アルバムの
プロモーションだったんです。

日本武道館でもコンサートが行われ、
来日コンサートということで、
ますます日本での知名度、そして人気にも
拍車がかかり、一大ポリスブームを巻き起こしました。

夜のヒットスタジオにもクチパクで
でてましたね・・・

超”子供”のわたしは・・・
この宇宙人?外国人だろうけど・・
歌番組で歌ってない!!

日本舐めてる?とうっすらと思っておりました。
笑笑(笑)ゆるしてください・・・💙

そして2月7日は、宮城の仙台市のコンサート!

宮城県仙台市青葉区1番町という かっこいい住所にある
仙台の電力ビル(英語ではDenryoku Hall)でコンサート!

この電力ビルにはグランドホテル仙台が併設されています。
1981年2月7日前後は満室だったと思いますよ~。

スティングのコンサートで、
日本および海外においても同じ現象がよく起こります。

ギリギリでホテルをとろうとおもったら、
会場の近くのホテルの空室が・・
もうない!ガチです。

この日本人が聞くと変な名前・・と思う方も多いかと思います!



ゼニヤッタ?モンダッタ?というアルバムタイトルは第2候補! なんと別タイトルが用意されていた!

ゼニヤッタ?モンダッタ?・・・は?と思いませんでしたか。
私はそう思ってしまった一人です。
とってもポリスが大好きなのに・・💛

もともとは、なんと別のタイトルがこのアルバムには
用意されていたんです。「Trimondo Blondomina」

このまた、なんとも言えない”トリモンド・ブロンドミナ」!
ブロンドヘアーの3人が世界を制覇する!という意味なんだそうです。

そこで、バンドメンバーは
”ブロンド”もう一つのタイトルに入れたくない”
といったとか。

そこで・・もう一つ?ですよね。
まだブロンドを意味するタイトルあったっけ?ですが・・
その もう一つというのは 「レガッタ・デ・ブランク」
(原題:Regatta De Blanc)のアルバムのこと。

この「レガッタ・デ・ブランク」名前が ”意味する”ところが、
バンドメンバーが。ブロンドヘアーで、白人。

まだまだ、当時の人種差別?というか・・時代を感じます。

そしてレゲエとパンク音楽の 「ブランク・ジェネレーション」を演奏している、
という意味を、もたせたかった・・というか持たせてある、そうです。

レガッタ:Reggatta→reggae  ブランク:Blanc→白;
ですけど・・

ところで その「ブランク・ジェネレーション」というのは、
あえて訳すと「空白の世代」。それなに?ですが、音楽の1つの形態になります。

1970年代のアメリカの若者が、社会や文化に対する不満や、
不条理に対する怒りを感じ、自分たちの価値観や、自分たち自身の
理解を深めるなかで、それを音楽として表現した・・・とか。

それが当時の1つの音楽の形態として認識されるようになった
ものの1つになります。なんか、すごいなあと感じてしまいます。

それでタイトルになったのが、「レガッタ・デ・ブランク」
ただ、それとは異なる意味合いのものにしたかった、ポリスバンドメンバー。

それが「ゼニヤッタ・モンダッタ」がタイトルになった1つの理由。

ただ、このアルバムのタイトルには諸説あって思い白いので、ご紹介しま~す!!


では、最初の説は・・・
ゼニヤッタには、なんと!!!日本語の「禅」が入っている!

そして、ヤッタ、というのは、Kenyattaからきている。
1950年代のケニアで反植民地運動を起こした集団があり、その名も
Mau Mau. その指導者のひとりが ジョモ・”ケニヤッタ”なんです。

そして、このアルバムをレコーディングしていた、バンド、ポリス。
その時に、彼ら ポリスというバンドが、アフリカや中東でツアーを計画していて、
そこから、”ケニヤッタ”がでてきて、そのヤッタをかけて、ゼニヤッタ、
となったというもの。

じゃ、モンダッタは?ですよね。

モンダッタは、フランス語の”Monde”=世界 を表し、
ゼニヤッタと音を単純に合わせて”モンダッタ”・・・としたとか。(笑)

もう一つの説が、
英語のZenith(頂点)と フランス語の ”Monde”(世界)で、
世界の頂点に立つ!という意味で、ゼニヤッタ、モンダッタ・・とも・・!

あと最後の面白い説が、日本語だとか・・
日本語で、”銭やった、揉んだった”・・(gave money, gave a massage)
あの・・・(冷汗 & 笑)

まあ、所説あるこのアルバム・・面白いですね。
さすが The Police 警察?です。(笑)


話は戻して、この2月7日1981年!
当時は、様々な報道でも
最も大きな注目を集めたイベントとして、残っているものが多々あります。

1970年後半、1980年代とポリスを愛した日本の大ファンにとっては
夢のコンサートだったに違いありませんね。

この夢のコンサートがあった、
電力ビルは、宮城県仙台市青葉区一番町!

東北電力の関連会社、東日本興業が所有し運営するビルで、
仙台市の中心部に位置し、交通の便もとてもよいところです。

ポリスを紐解くと、スティングはもともと、
このポリスというイギリスのロックバンドで有名になった
ミュージッシャン。スティング(スティング本名:ゴードン・サマナー)
として日本では知られていますが、スティングも、このコンサートおぼえているかなあ・・

そして、このコンサートは、ポリスが日本で初めて公演を行ったもののひとつになり、
ポリスというバンドの日本での人気そして、知名度を更に上げることとなりました。

コンサートチケットは瞬く間に売れきれたそうです。

そして、日本の若者に対する音楽的影響はものすごいものだったと思います。
あの迫力とエネルギー。そして曲の深遠さと、パワフルで、そして確かなすごいレベルの
演奏力と、セクシーなスティングのヴォーカル!

もうちょっと早くうまれていたかったかなあ・・
皆さんはコンサート行かれましたか?
行かれた方は超超ラッキーだったと思います。



1980年京都大学西部講堂!ポリス事件

知る人ぞ知るこのポリス初来日公演の「京都大学西部講堂」ライブ事件!
わああーーポリスは日本でこんなライブしてたんだー
と思わず、心が騒ぐような感動を感じました。

この京都大学西部講堂ですが、この場所は伝説のホールです。
見た目は地区70年の大きな木造の邸宅・・のような外観ですが・・・

実は実は、1970年から「大晦日のロックフェスティバル」が開催されるようになって、有名になる前の、矢沢永吉! ジョニー大倉など、超大物の駆け出しのロック誕生を応援した場所です。

アメリカでは”フランク・ザッパ”(Frank Zappa)もこの場所で1976年に演奏し、日本で当時多くの注目をあつめ、日本のファンの熱い支持を受けました。

フランク・ザッパさんは52歳という短い人生をかけぬいたアメリカのミュージッシャン。彼もシンガーソングライターです。1988年にはグラミー賞のベスト・インストルメント・パフォーマンス部門で受賞しています。



 

伝統的な方法慣習にとらわれることなく、新しいものを取り入れ、
斬新な新しい表現視点を音楽という芸術で表現しようとして
ミュージッシャンとして知られています。

この場所は世界に名を馳せる超大物のエネルギーを引き付け発散させる
不思議なパワーがあるようです。

私がたまたまこのポリスがこの行動でおこなったライブ音源を聴くことがありました。
もちろん2019年以降ですが・・

最初は何これ?と思い・・ちょっとこわ!とも思いました。



 

知る人ぞ知る 京都大学西部講堂 ポリス事件って?

時代背景を理解しなければならないのですが、京都大学の西部講堂は「自主管理・自主運営による表現の場」との位置づけをもっており、一般の貸し会場とは違っていました。

そのための音楽公演のプロモーター(益を得ることを目的に、イベントやコンサートなどの企画・準備を行い、アーティストや公演の広告宣伝やチケット販売を担当)の直接利用がゆるされなかったという背景があります。

そこで「学生の任意団体」なるグループがライブを開催する形をとり、ポリスが演奏することができるようになった!ということです。

ただ、学生たちとプロモーターがなんとあろうことか、
コンサート当日に対立。



 

プロモータの仕切り方が気に食わない学生たちが、
会場いっぱいで入らないような観客など、おもしろくないことが
つぎから次へと当日起きてしまい、
学生スタッフが、その仕切っているプロモータに公演中止だ!
と・・・当日に。。。

無理ですよ~・・と40年後から言いたくくらいですが・・
それで、起こった学生側がライブに乱入し声をあげた・・
ということですが・・

演奏する側のポリス!日本語わからないなよ~・・・・
音楽を愛して・・成功を夢見て・・頑張ってるポリスなの~・・
と言いたいですが・・・

諸所の事情・・ですよね。日本は・・
難しいです

あああああ・・すごかっただろうなあ・・

京都大学西部講堂Wikipediaの記載を参考まで



 

ポリス事件と自主管理(ご参考までWikiから)

こちらに書いてありまよ~Wiki リンク

この仕組みによれば、ウドー音楽事務所などのプロモーターは直接使用できない。そこで、ポリスの公演では、プロモーターから公演の話を持ちかけられた西連協を構成するメンバーの一部が急遽、公演のためだけの任意団体を結成。企画の承認を得ることで形式を整え、開催にこぎつけた。

ところが、当日になると会場をプロモーターが仕切り、従来の西部講堂では考えられない会場運営(多数の警備員、カメラチェック、アルコールの持ち込み禁止)が散見された。さらに、キャパを超えるオールスタンディングの観客が詰め込まれ、危険な状態になっていた。この状態(自主管理の逸脱、商業主義と見まがう入場者数)を問題と感じた西連協のスタッフが、プロモーターに公演の中止を求めたのが、事件のあらすじである[3]
(京都大学西部講堂Wikipediaの記載を参考ま))

(執筆:2024年2月11日)(改訂加筆:2024年4月27日)(改訂:2025年6月13日)


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