相撲界のスティング?24歳若武者!衝撃110年ぶり相撲幕内前頭優勝!相撲界制す “Sting of JP Sumo world! Shocking 24-Year-Old Warrior! First Maegashira Victory in 110 Years! Dominating the Sumo World”

音楽情報

尊富士(TAKERU-FUJI)というお相撲さんがいらっしゃいます。
2024年の3月に新星のようにでてきた若武者!
大相撲といえはこの話題で持ち切りですよね。

新星のように音楽界にでてきたポリスが世界の音楽界を制した
ように、私の心をとらえました。

幕内お相撲さんですが・・・なんと110年ぶりの快挙をなしとげたって!

あまりにも興味深く、大相撲の世界での出来事ですが、
この快挙がポリスが音楽界の頂点をきわめた
パワーを思いださせたてくれたので、ここでご紹介したいと思います。

まずは快挙を理解するためには、
お相撲さんのランクを知る必要がありますよね・・
しっかり勉強しましたよ~。

そこで・・Sumo wrestlers’ rank; とは・・
お相撲さんのランクは、「番付」(BAN-TSUKE)と呼ばれています。
主なランクは、

  1. 横綱(Yokozuna):最高位のランクであり、相撲界の代表的存在です。
  2. 大関(Ozeki):横綱に次ぐ格付けで、優れた実力を持つ力士が昇進します。
  3. 関脇(Sekiwake):大関に次ぐ格付けで、上位の力士と対戦する機会が多いです。
  4. 小結(Komusubi):関脇に次ぐ格付けで、上位の相手との対戦が多いです。
  5. 前頭(Maegashira):番付の下位に位置します。

私は3歳ごろから、隣に大きなドーム形の体育館の隣に住んでいました。
巡業のお相撲さんがテントをはって場所を貼るときがありました。
なので、大きいお相撲さんには親しみがあります。

北の湖‼巨大でしたね・・
輪島・・どっしりオーラがありました・・などなど
めちゃ素人ですが、今回はびっくりです。

父親とも 子供のころは、
”はっけよーい”とも相撲をとってあそんだり・・(笑)
はい、私女子ですが・・

それはいいとして・・・

そういえば・・
スティングはポリス時代に来日して、相撲道場をおとずれてことがあるのは、
きっと皆様もご存知だと思います。

アンディ・サマーズがお相撲さんと対戦したビデオは
まだ記憶に新しいですよね。日本人としては本当にうれしいビデオです。

話はお相撲さんにもどしまして・・・
何が大相撲でおこったかというと・・

TAKERUーFUJI という名前のお相撲さん、力士と言いますよね。
の事実物語がすごくって・・・

まずはそのお名前から・・
この尊富士(TAKERUーFUJI)という、名前の漢字ですが・・

尊(TAKERU):RESPECT、富士(FUJI):Mt.FUJI という意味です。
かっこいい!!

その尊富士さん、本名、石岡 弥輝也(Ishioka-Mikiya)とおっしゃいます。
私の生まれた石川県にも関係が深い力士さんです。

プロの力士になる前、アマチュア時代に何度も石川県金沢市
の卯辰山相撲場の土俵を何度も踏んでいます。

高校生の時には、高校相撲金沢大会で、団体準優勝をしています。
その前の中学1年生の時にも、百万石まつり奉賛親善少年大会で
卯辰山の土俵で第3位と石川県には関係が深いです。


東前頭!?17枚目でなんと優勝目前!で 右足負傷なんて・・悲しすぎる!

尊富士、12勝を勝ち取っていた
2024年3月24日。前頭という幕内では一番下のランク・・

その力士がぐいぐいと勝ちをとり、
次に勝てば110年ぶりの新入幕優勝!というところでまできます。

尊富士、右足負傷・・という結果を出してしまいます。



尊富士の右足が・・突然痛みが・・言葉で足が・・ 事実の事実・・・これって・・

照ノ富士横綱が、尊富士に「どうだ?」と、一言。

尊富士は、「この状況はきついです。歩けないですし」
と答えたそうです。

すると尊富士の兄弟子にあたる照ノ富士・・
「おまえならやれる。記録はいいから、お前は”記憶”に残せ。
勝ち負けじゃない。最後まででることが大事なんだ。
負けてもいいから・・・しょうがない・・・
でもこのチャンスは戻ってこない!
俺もそういう経験があるから・・」

と声を掛けられたそうです。

声をかけたのは照ノ富士。32歳の東横綱。モンゴルの
ワランバートル出身。192センチ176キロのとっても大きな
力士です。相撲を始めたのは18歳!お肉が大好きな横綱です。

「言われた瞬間に、少し自分であるけるようになった・・怖いぐらいに。
さっきまで歩けなかったのに。・・・
『立て』と言われたら(歩けるようになった)。
そこで『明日(千秋楽)、頑張ります』と答えたそうです。

尊富士は、そのあと伊勢ケ浜親方を訪れ、「出させてください」と意思を
伝えました。

尊富士曰く、「横綱に言われて急にスイッチが入った。
第2の自分がいるような感じだった」と後にコメントしています。

不思議な力が体の中から湧いてきたそうです。
言霊でしょうか。ことばの力・・考え方・・
考えさせられるものがあり、私は感動しました。

ケガも痛みも平幕優勝という大相撲界にそして、
尊富士の人生においても・・歴史に残る快挙を目前にした
若干24歳の直面した・・潜在的な言葉にならない怖さが、
ケガも痛みも・・ある意味引き寄せ?
とおもったのはわたくしだけでしょうか・・

しかし、尊富士。照ノ富士の言葉に、その恐怖が消えた瞬間・・
体が反応します。

痛みが驚くくらいに軽減するという体験。そして・・
24歳若武者!再度快進撃が再度はじまります。

人の心のなせる不思議なパワー!かっこいいですよね・・・
すばらしい!

奇跡と執念、貴花田(貴乃花)の2.4倍スピード初優勝

そして2024年3月25日!千秋楽。痛みがずいぶん和らいだケガと共に出場。

尊富士は「気力だけで(相撲を)取った。別にこの先、終わってもいいと
おもっていた。一生後悔すると思ったから土俵に上がった。」と答えています。

”記録じゃなくて、記憶に残る力士になりたい” 尊富士の名言になりそうですね。


そして土俵へ・・あの感動をもう一度

右足首にテーピングとサポーターをつけて土俵に上がります。
ピンクのタオルで体をさっと拭く、尊富士の顔はなんともいえない表情。

相手は豪ノ山。尊富士は、土俵の真ん中にある2つの線、
尊富士の仕切り線よりすこし下がって
相手を見つめます。豪ノ山は、対照的に仕切り線ピッタリにこぶしをつけ、構えます。

尊富士は紫のまわし、豪ノ山は黒!そして。パーンと2人の力士の体が当たる音が
響きます。「ハッケーヨーイ」・・尊富士はぐいぐいおして、そのまま
尊富士の勝ちかと思ったのですが、
豪ノ山がぐい!と体全体の体重をかけるように押し返し、
右足が宙にうきながら、尊富士を押し返します。

しかし押し返された尊富士は、ドーンと両手に体重をかけて突き飛ばすと
豪ノ山の体が立ってしまいます・・
そこへ、もう一押しされた豪ノ山は土俵のそとへ・・
一回転・・

優勝!大相撲110年ぶり!

紫のまわしをつけた尊富士はグイっと胸張りなんとも言えない、今度は涙と微笑みが
混合したような表情で・・・ちょっと下を向いた瞬間涙‥でしょうか。

感無量といった表情・・かっこいい!!

一息つくと、大歓声に包まれます。

尊富士は、そんきょ(蹲踞)に戻ります。

この”そんきょ”は直立した姿勢から状態を立てたまま、
膝を追って腰を深くおろし、両膝を開いたままつま先だちをするあの
体勢!

これがもともと、地中の邪気や悪霊といった醜いものを踏み固め、
台地を鎮める神事からきている体勢だそうです。

相撲って奥深く・・伝統的なスポーツと言われる所以を感じさせられます。

決まりて『押し倒し・・』

そして・・記録にも、記憶にも残る110年ぶりの新入幕優勝を勝ちとるという
大相撲の歴史を、尊富士が作った日となりました。

1914年(大正3年)5月場所の両国(元関脇)以来、110年ぶりの快挙!!
少しほほ笑むような、万感の表情の尊富士

貴花田(貴乃花)が24場所、朝青龍が24場所で初優勝。
尊富士はなんと10場所での優勝だったんです。

史上最速の優勝を打ち立てた尊富士は、まだあまりにも早いスピード出世で
まだ大銀杏(おおいちょう)、俗にいう”ちょんまげ”が髪の成長が追い付いてなく・・
みじかくてゆえない力士になってしまいました。それがすごくってかっこいいですよね。

私のポリス(The Police) も 1977年に結成されて、あっという間に音楽界の
頂点を極めました。1978年に発売されたアルバム
「Outlandos d’Amour」(アウトランドス・ダムール)や、
1983年のアルバムではグラミー賞も受賞した「Synchronicity」は、
ヒットシングル「Every Breath You Take」を含む数々のヒット曲を生み出し、
バンドを音楽界の頂点に押し上げました。

大相撲!3トリオ・・ともいえる私のスター
尊富士、大ノ里・・そしてもう一人が・・定まらない。
なにかポリスの4人の時期を彷彿?

とりあえず大相撲!これからも注目ですよね!

最後に公式チャンネルの動画を載せておきます。
もしクレームがきちゃったら削除します。
それまで、この歴史的瞬間を・・尊富士さん!ありがとう!もちろん
豪ノ山さんも!感動の瞬間でした!

プロフィール
◆1999年(平成11年)4月9日、青森県五所川原市生まれ。
身長、184㎝、体重143キロ。もちろん、得意は、突き、押しです。
尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや)。本名は ”石岡弥輝也”
鳥取城北高校を卒業後、日本大学へ。
22年秋場所初土俵。





タイトルとURLをコピーしました