スティング歌のプレゼントした 歌手トニーベネット死去 3番目の妻は40歳年下だった・・

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スティングがトニー・ベネット(Tony Bennett) さん94歳の誕生日に歌のプレゼント!

今から約2年前、スティングさんが、スティングの公式インスタグラムで、ギターをかかえてイタリアの彼の大邸宅のご自宅から、歌のプレゼントがありました。トニー・ベネットさんのお誕生日である8月3日の投稿でした。

そのころは、まだコロナ渦の終息前。スティングさんはイタリアの彼の豪邸の外の長いすに座って、ギターでの弾き語りとメッセージを送りました。まだ、記憶に新しいところです。

伝説的なスティングさんから、伝説的なポップ歌手でもありジャズ歌手でもあるとトニー・ベネットさんへの誕生日プレゼント、歌のプレゼンとは歌手どうしの間でのプレゼントとしては、最高のものかもしれませんね。ほほえましいなあと思ったのがまだ記憶に新しいところです。

スティングさんはアコースティックギターで短い弾き語りをしました。そしてメッセージ。

『お誕生日おめでとうございます、トニーベネットさん。あなたは本当にインスピレーショナルで、
私たちに自信を与えてくれました。世界をもっと良くすることができるという自信、直していけるという(自信)、(だから)最高の世界は、これからですよね。(まだやってきてません、と直訳ではなるのですが:The best is yet to come. と この表現で使うとき、もっとこれから良くなる、まだまだこれから、
最高の時がくるんだという希望のメッセージのように使います。)素晴らしい誕生日をお過ごしください。大好きなトニーさんへ、』
というようなメッセージを添えて。

この時に歌った曲はこちら👉 The Way You Look Tonight (邦題:今宵の君は

伝説の歌手と称されたトニー・ベネット死去 2023年7月21日96歳

トニー・ベネットさんの現在。とても悲しいですが、今年の2023年7月21日。お亡くなりになりました。
7月21日の訃報でしたので、あと、12日、13日目には彼の97歳の誕生日を迎えるところでした。

トニーべネットさんは、世界の伝説の歌手と言われ、「霧のサンフランシスコ」
(思い出のサンフランシスコ)と邦題のつけられる「原題:I Left My Heart In Sanfrancisco」
の大ヒットを持つイタリア系アメリカ人のお方。
2023年7月21日、96歳、97歳の誕生日直前でお亡くなりになりました。


トニーベネットの訃報はトニー・ベネットさんの誕生日直前 2023年7月21日 最初のヒット曲はスティングが生まれた年!

トニーベネットさんは米国を代表する歌手で1926年8月3日、ニュー・ヨーク生まれですが、アメリカでは、イタリア系として知られています。両親はイタリアの移民です。

そして、彼はまだ18歳だった時に徴兵されて、
なんどトニーベネットさんは戦争を体験しています。

第2次世界大戦の最後の2年間はドイツ戦線にいたそうです。
すごいですね。戦争を生き延びて、歌手になって大成功…すごい人生です。

また、プライベートでは、多くのアメリカ人の間で、
じつは彼は同性愛者であったともいわれています。

でも結婚もなさっているので、バイセクシュアルとも。
恋多き、愛多い方だったようですね。そして・・奥様は・・

恋多きといえば・・・このスティング名曲この曲はいかが・・👉【スティング名曲】「デザート・ローズ」砂漠のバラは?岩?歌詞・和訳・背景どんな曲?

40歳年下 3度目の若妻残し トニーベネットさん 愛多い💛

残されてしまった奥様はちなみに40歳年下の方で(時に誕生日の関係で41歳年下)スーザン・カロウさんとおっしゃる方です。愛には年齢って、ナンバーでしかありcえない・・のかもしれませんね。

93歳の誕生日には、お二人でインスタグラムで写真を公開してますよ。

そして彼女は3番目の結婚相手。つまり3番目の妻です。私などはすごいなあと思ってしまいますが・・

世界の伝説の歌手は愛はロマンスは人生の醍醐味?

残されてしまった40歳年下のスーザン・カロウさんの前の妻、サンドラ・グラントさんは、
1940年7月7日生まれなので、トニーベネットさんが1926年8月3日生まれなので、14歳年下ですね。

それでもすごいと思うのですが。伝説の歌手はすごい。💛ご結婚も世界的です。良い意味で・・
世界の常識にとらわれない自由さがいいなあ、と私は思ってしまします。

世界で飛び出ている!・と勝手に思うのですが・・

そしてサンドラ・グラント・ベネットさんと離婚した その年2007年になりますが、
三番目のカロウさんとの結婚をトニーさんは発表するという・・
そして離婚の理由は正式には発表しませんした。

ちなみにサンドラ・グラント・ベネットさんはアメリカの女優です。

しかもすごいのが、マリリン・モンローの元夫、有名な野球選手だったディマジオ(Joe DiMaggio) さんが、マリリン・モンローと離婚した後、そのトニーベネットの奥様になったサンドラ・グラントさんと付き合っていたそう・・。

彼女は、トニーとの結婚を後悔しており、ジョー・ディマジオと結婚していたら、もっと幸せだったと、
語っています。ふむふむ・・・。離婚になったので、このコメントは仕方ないのかもしれませんね。

トニー・ベネットさんは、サンドラ・グラントさんとは2人の子供をもうけました。

最初の妻はパトリシアビーチ(Patricia Beech)さん。1952年2月12日に結婚し、1971年に離婚。
そしてサンドラ・グラントさんとは1971年に結婚し1983年に離婚。

最後となったスーザン・クラウさんは2007年に結婚。

甘く、天才的な歌声には甘い大きなロマンスが多くあったのかもしれませんね。

そして・・甘いロマンス・・といえば 【スティング名曲】の娼婦に恋する男性・・この曲!
そしてスティングMYSONGSのコンサートのアンコール定番・・よろしければこの熱い恋
味わいたい方はこちら👉【スティング名曲】1977年から33年以上今も売れ続ける最高傑作「ロクサーヌ」の秘密 歌詞和訳・背景


10歳で父親と死に別れ トニー・ベネット

子供のころは、決して裕福な家のお子様ではなく、
イタリアアメリカ人の家族に生を受けたトニー・ベネット

アメリカでも移民が最も多いともいわれるニューヨーク氏のクィーンズで時代を過ごしました。
そして、彼の父親はトニーがたった10歳の時に亡くなっています。

従って母親のアンナさんが母子家庭で、トニーと、トニーの兄ジョン、
姉妹のメアリーを親戚の近くの家で育て上げました。

もちろんその親戚の方々が、一番最初のトニーのファンであることは言うまでもありませんね。
第2次世界大戦の時だったので、彼は徴兵もされています。
詳しく知りたい方はこちら👉スティング尊敬トニー・ベネット霧のサンフランシスコは故郷NYで10歳父と死別 幼い頃

さて。。彼の代表作といえば・・・

トニーベネット グラミー賞受賞作「霧のサンフランシスコ」

1962年リリースの「霧のサンフランシスコ」「思い出のサンフランシスコ」と2つも邦題を持つこの曲。
原題が、『I Left My Heart In Safrancisco」 (サンフランシスコに私の心を置いてきた。)。

第5回グラミー賞 レコード・オブ・ジ・イヤーに輝き、また トニーベネットは、
最優秀男性ヴォーカル賞をこの曲で受賞しています。

そして生涯この曲が彼の最高の曲といっても過言ではないと思います。では・・・


代表作中の代表作、名曲、『I Left My Heart in San Francisco』 霧のサンフランシスコ(思い出のサンフランシスコ)を紐解くひと時

トニーベネットさんの名曲ですね。簡単にご紹介しておきます。

歌詞はあくまでも参考訳で、歌詞カードについているような高尚なものでなく、
私が英語できくと日本語で頭と心をくすぐられる間隔を、お伝え出来たら・・という感じの参考です。あしからず。英語を味わってくださるとうれしいです。

『I Left My Heart in San Francisco』
作曲: ジョージ・コウリー(George Cory)作詞:ダグラス・クロス(Douglass Cross)

The loveliness of Paris
Seems somehow sadly grey
The glory that was Rome is of another day

パリの愛らしさ、なぜか悲しげに明るい
栄光といえばローマだった、もう別の話。
★なんとなくリズムをかけているところがニクイくらいかっこいいい。The loveliness of Paris,
The glory of Rome は昔なのでThe glory that was Rome、ローマの栄光は過去だった,
と軽く同じリズム感で書いていると感じます。

そして、それは..is of another day 明日は明日の風が吹くというときによく使われる
”Tomorrow is aother day” の表現を使って is of another dayと表現。
つまり別の話、昔の話という感じをかっこよく表現していると思います。

スティング名曲にも、韻を踏んだり、発音の似た言葉を並べるかっこいい曲がいっぱいありますが・・
たくさん紹介していきたいです。スティング自身が選んだ名曲はこちら👉【スティング名曲】Sting自身が選んだおすすめ人気曲ランキング20選 Police – スティング Sting (ポリス)音楽研究所 (stingako.com)

I’ve been terribly alone
And forgotten in Manhattan
I’m going home to my city by the Bay

私はずーとひどく独りぼっちだった
そしてマンハッタンでは忘れられてた
私は家に帰る・・私の街へ(サンフランシスコ”ベイ=サンフランシスコ湾、入り江”)湾のそばにある・・
★サンフランシスコが丘の多い、サンフランシスコ湾の場所という地域とマンハッタンという都会の2つの場所を対照させて、聴く人の気持ちをサンフランシスコという美しい湾の街、霧の街へといざなうところが、私は好きです。

I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me

私は置いてきた・・私の心を サンフランシスコに
高い丘の上に、それが僕を呼んでいる
★サビ、サビ・・超かっこいい。マンハッタンでひどく寂しい思いをして忘れ去られてたけど、実は僕の心はサンフランシスコに置いてきたんだ・・小高い丘の上だよ・・その心が僕を呼んでいる・・ああ・・サビのメロディとともにさわやかな哀愁ですね。

To be where little cable cars
Climb halfway to the stars
The morning fog may chill the air
I don’t care

小さなケーブルカーがあるところにいるために
星々への道を半分登っていく
朝の霧が、空気を冷やすこともあるところ
私は気にしない
★To be..とゆっくりとトニーベネットが歌いあげるところが、そこに自分が在るために、
日本語だと”そこに戻るために”  なっちゃうかもしれませんが、感覚的には、To Be..といいったところで、魂はサンフランシスコの情景に浸ってしまいます。

丘を登りおりするケーブルカー・・長い大きな路線電車のようでなく(笑)、
欧州にもケーブルカーは多いですから、サンフランシスコの観光客も喜んじゃう、
あの1両編成💛の小さなケーブルカー!

それが丘を登るとき、気持ちとしては星々への道を登っていくよう・・
そして朝の霧が”Chill”ですからかなり寒い。・・・ところで
私も10代のころサンフランシスコに少しいまして💛
カリフォルニア州のサンルイス・オビスポで学校に通っていたことは夏に
朝はセーターのカーディガンを着て歩いて学校に行って、
帰りはTシャツというときがありました。霧があることが多いですね。

そして 歌に戻って・・・”I don’t care.” とちょっと強くトニーが歌いあげるところが
次のMy love・・に繋がって対照をなして、いい感じを出しているなあと思います。

”気にするもんか・・そんなのへっちゃら” 僕のサンフランシスコへの愛は・・という感じで歌がながれていきいまして・・・”My love~♪!” はその流れで聞くと、私のサンフランシスコへの愛、
とも聞こえませんか?💛

My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea

私の愛がそこで待ってる サンフランシスコで
あの青い風の海の上空に
★My loveを愛する人と解釈するか、自分のサンフランシスコへの愛と解釈するか、たぶんかけているから詩的な味わい感がでてると思います。

スティング名曲も、解釈に幅を持たせて、芸術性を高めている曲が多いと思います。
例えば・・・「ルーズ・マイ・フェイス・イン・ユー」👉その歌の歌詞はこちら(面白いですよ!)
Above “the” blue and windy sea ..確かに青いですよね・・・サンフランシスコ湾は。風も強かったりする・・・その上空で・・僕のサンフランシスコへの愛がまっているんだ・・・って感じに私には聞こえます。

When I come home to you, San Francisco
Your golden sun will shine for me

私があなたのもとへ戻ってきたら、サンフランシスコ、
あなたの金色に輝く太陽が私のために輝いてくれるだろう
★この”あなた”はサンフランシスコを擬人化してて、サンフランシスコ、と呼び掛けているように歌い上げるところがかっこいい。そして、クライマックスの ”Your golden sun will shine FOR ME”  で終わります。 最初、マンハッタンでひどく寂しく忘れ去られてきた・・でも故郷のこの街サンフランシスコは、金色に輝く太陽が加害やてくれるんだ ”私のために~!!” と。

スティングとは・・

トニーベネットさんとスティングは父親と息子くらい・・年の差

スティングさんが1951年10月2日生まれ。トニーベネットさんは、(なんかスティングさんとここでは読んでしまいたくなりますね。)1926年8月3日生まれですのえ。25歳の年の差。

お父さんと息子という感じでしょうか。そして・・

 


トニーべネットさん ニューヨークで死因は不明 でも アルツハイマーと闘病中 アルツハイマーといえばスティングの・・

スティング、イギリス歌手がレジェンド(伝説)と呼ばれる中、
24歳年上の米国歌手も同じくレジェンド!

トニー・ベネットは、フランク・シナトラと並ぶ大御所です。ただ時代がちょうど

そのトニーべネットさん 「霧のサンフランシスコ」 ニューヨークで96歳の人生を全うされましたが、死因は不明と発表されています。

ただ、アルツハイマーを患っており、2年前に引退を発表しています。

そしてアルツハイマー・・といえばスティングがカバーしている・・
そう、あの曲。オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ(原題:Dock Of The Bay)
(入り江の波止場)

スティングの最新アルバムにもこの曲は収録されています。

そのスティング最新アルバム「ザ・ブリッジ」(原題:The Bridge)が 2021年11月21日にリリースされましたが、それに先だってプロモーションビデオとして、日本時間の毎週火曜日10時に2分程度の動画を配信していました。

配信された動画は8つ。そして今年第2弾としてエピソードだけされました。

その第1弾の中のエピソード2(第2番目の配信動画)で、スティングが、アコースティックギターを抱えて、語る部分があります。

その時に彼が、「研究によるとアルツハイマー認知症を患っていると、子供の時に覚えた昔の歌は覚えているそうなんだ。ニュースや自分の子供たちよりもよくね・・・・それで、もし僕が思い出す曲、思い出したい若い頃の曲と言われれば、もちろんこの曲、オーティス・レディング(Otis Redding)のドック・オブ・ザ・ベイだね」と・・

と語っています。

また2013年には、スティングはアルツハイマー協会のプロジェクト「Music Moments」に参加しそのそのビデオでも、奥様のお母さまが時期尚早のアルツハイマーでお亡くなりになり、悲劇的で非常に怖い病気だと思うし、我々全員が患う可能性を秘めているわけで、現段階でできる研究があるのであればそれは重要であることは言うまでもない、と語っています。

今回トニーベネットさんは死因は不明ですが、アルツハイマーを患っていたということで、96歳の人生を全うされました。

代表作は、1962年に「霧のサンフランシスコ」「思い出のサンフランシスコ」とも呼ばれてる(原題:I Left My Heart In Safrancisco) (サンフランシスコに私の心を置いてきた。)になりますが、最初のヒット曲は、スティングが生まれた年の1951年、ビコーズ・オブ・ユー(原題:Because Of You)になります。この記事の最後に載せておきました。では・・・

最後にトニーベネットさん最初のヒット曲 「君ゆえに」(原題:Because of you)

最後にトニーベネットさん最初のヒット曲 「君ゆえに」(原題:Because of you)をご紹介しておきますね。

1951年のポップチャートで5位まで登り詰めたそうです。

しかし最初のヒット曲は、ちょうど、スティングが生まれた年の1951年の作品、「君ゆえに」「ビコーズ・オブ・ユー」(原題:Because Of You)になります。

とっても甘い甘い曲だと思います!!💛

Because of you there’s a song in my heart
Because of you my romance had its start
Because of you the sun will shine
The moon and stars will say you’re mine
Forever, and never to part

君ゆえに私の心に歌がある。君ゆえに私のロマンスが始まった。君ゆえに太陽が輝くんだ。月と星が君は私のものだ・・て言うんだ。永遠に・・別れることはない。
★現代っぽくいうと・・
君がいるからハートに歌がある。
君がいるから僕のロマンスが始まることができた。
君がいるから太陽が輝くだろう・・
月と星が僕に語りかけるだろう・・君は僕のものだって
永遠にそしてけっして僕たちは離れることはない。

I only live for your love and your kiss
It’s paradise to be near you like this
Because of you, my life is now worthwhile
And I can smile because of you

私は、君の愛と君の口づけだけに生きる。このように君の近くはパラダイスだ。君ゆえに、私の人生に価値が生まれる
だから私は微笑むことができるんだ・・君ゆえに。
★現代っぽくいうと・・
君の愛とキスのためだけに生きている。こうやって君の近くにいるとパラダイス。君がいるから自分の人生に今生きる価値を感じるんだ。そしてきみがいるから微笑むことができる・

I only live for your love and your kiss
It’s paradise to be near you like this
Because of you, my life is now worthwhile
And I can smile because of you

君の愛と君の口づけだけのために生きる。こんな風に君の近くにいるとパラダイスだ。君ゆえに、今では私の人生は価値があるんだ。だから私は微笑むことができる、君ゆえに。

★この曲は、1951年の「I Was An American Spy」という映画にも使用されました。
ただ作られたのはなんと、1940年で、最初、つまりオリジナルは Larry Clinton’s Bluebird Orchestra伴奏の ”ペギー・マン”(原名:Peggy Mann)という若い女性歌手によって歌われたレコード。まあまあのヒットになりました。ペギーマンの声がなかなかいいです。私としては、すきですねえ。2分50秒の曲ですが、最初にオーケストラがこの曲を演奏してから、ボーカルがはいという、現代としてはちょっと変わった感じです。1分12秒当たりで初めてペギーマンのボーカルが入ります。
また1951年のコメディ映画の「Let’s Make It Legal」のバックグランド曲としても使われています。

そして、トニーベネットがアレンジしてうたって大ヒットとなったというわけでした!💛


フランク・シナトラさん・・僕がお金を払うなら、トニー業界最高の歌手?

ちなみにフランク・シナトラさんが Life  という雑誌の中で、トニー・ベネットさんに言及しており、”For my money, Tony Bennett is the best singer in the business.” (参考訳:自分がお金を払うなら、この業界では彼は最高の歌手だ)とコメントしています。

フランク・シナトラさんは1915年12月12日生まれ。トニー・ベネットさんは1926年ですから、フランクさんが11歳年上の当時の、今でもですが、大御所歌手ですね。1998年5月14日にお亡くなりになっています。

また フランクさんは”He excites me when I watch him. He moves me. He’s the singer who gets across what the composer has in mind, and probably a little more.” (参考訳:彼を見ているとわくわくするんだ。彼の動きとか。彼は作曲家が心に抱いたその思いを理解することができる、そしてたぶんそれよりもっと少し何かを理解できると思うんだ)とも・・トニーさんが11歳年下であったことも考えながらですが・・

トニーさんは、スティングさんとは違い、曲をつくるのではなく、作曲家がトニーにもってくる曲を、彼は理解しそれに更にもっとなにかを加えて、彼なりの良さと味を加えるのにたけていた人だったのかもしれませんね。

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