1000万枚売り上げたトニー・ベネット96歳の死因は?グラミー賞「霧のサンフランシスコ」10歳で父と死別とスティング

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スティングが尊敬するトニーベネット。94歳の誕生日には、スティング公式インスタグラムで
歌のプレゼント。トニーベネットの「The way you look tonight 」の一部をカバーしてメッセージを置くています。そんなトニーベネットさんの現在は・・

伝説の歌手 トニー・ベネット死去(Tony Bennett) 2023年7月21日96歳

トニー・ベネットさんの現在。とても悲しいですが、今年の2023年7月21日。お亡くなりになりました。
7月21日の訃報でしたので、あと、12日、13日目には彼の97歳の誕生日を迎えるところでした。

トニーべネットさんは、世界の伝説の歌手と言われ、「霧のサンフランシスコ」
(思い出のサンフランシスコ)と邦題のつけられる「原題:I Left My Heart In Sanfrancisco」
の大ヒットを持つイタリア系アメリカ人のお方でした。

2023年7月21日、96歳、97歳の誕生日直前での旅立ちになってしまいました。

10歳で父親と死に別れ トニー・ベネットは イタリア系アメリカ人だった

実は生まれは、ニューヨーク市のクィーンズ区。
世界的にも民族的多様性に富む地域と言われているところですよね。

そこで、トニー・ベネットさんは、イタリア系アメリカ人の家族の息子として生を受けました。
1926年8月3日。

家族は食料品店を営んでいました。しかしながら、トニーベネットさんのお父さんはトニーがたった10歳の時に亡くなっています。

そのあと、彼の母親のアンナさんがトニーと、トニーの兄ジョン、姉妹のメアリーを親戚の近くの家で育て上げました。

もちろんその親戚の方々が、一番最初のトニーのファンであることは言うまでもありませんね。


トニー・ベネット第2次世界大戦で兵役

トニー・ベネットさんはマンハッタンの美術高校に入学し、歌と絵画に情熱を傾けていましたが、18歳の時に第2次世界大戦で徴兵されます。

そして20歳まで、過酷な天候と戦況のなか、あのヒトラー引きいるドイツ戦線で2年間を過ごすことになりました。

そして20歳で戻ったトニー・ベネットはアメリカン・シアター・ウィングに入学して、オペラ風の歌唱法(ベル・カント唱法)を身に着けたといいます。

そして当時の超大物歌手、”バル・ベイリー”に見いだされて、コロンビア・レコードと契約をすることになります。

そして・・・この初の大ヒット!

そして最初の全米1位となったトニーベネットの曲とは?

彼の代表作といえば・・・霧のサンフランシスコ(思い出のサンフランシスコ)
(原題 I Left My Heart in San Francisco). ですが・・・

その前に彼の、初の全米第1位! つまりの彼の最初のブレイクは「ビコーズ・オブ・ユー」(Because Of You)

そして彼がなるなく数日前に最後にピアノの前でうたっていたのは、この「ビコーズ・オブ・ユー」だったそうです。

この曲についてお知りになりたい方は、こちらに詳しい👉「ビコーズ・オブ・ユー」(Because Of You)

そして、彼の生涯を通しての代表作、代表曲は・・・

トニーベネットのグラミー賞受賞作「霧のサンフランシスコ」(思い出のサンフランシスコ)”I Left My Heart In Safrancisco”

1962年に「霧のサンフランシスコ」「思い出のサンフランシスコ」とも呼ばれていますが、
原題が、『I Left My Heart In Safrancisco」 (サンフランシスコに私の心を置いてきた。)の曲で、
グラミー賞を受賞しています。

そして生涯この曲が彼の最高の曲といっても過言ではないと思います。では・・・


代表作中の代表作、名曲、『I Left My Heart in San Francisco』 霧のサンフランシスコ(思い出のサンフランシスコ)を紐解くひと時

トニーベネットさんの名曲ですね。簡単にご紹介しておきます。

歌詞はあくまでも参考訳で、歌詞カードについているような高尚なものでなく、
私が英語できくと日本語で頭と心をくすぐられる間隔を、お伝え出来たら・・という感じの参考です。あしからず。英語を味わってくださるとうれしいです。

『I Left My Heart in San Francisco』
作曲: ジョージ・コウリー(George Cory)作詞:ダグラス・クロス(Douglass Cross)

The loveliness of Paris
Seems somehow sadly grey
The glory that was Rome is of another day

パリの愛らしさ、なぜか悲しげに明るい
栄光といえばローマだった、もう別の話。

★なんとなく言葉のリズムに韻を踏んでいる感じをさせながら、
言葉の表す並列さもニクイくらいかっこいいいと感じてしまいます。

The loveliness of Paris, パリの愛らしさ、は今だけど、なぜか悲し気・・・
ローマの栄光は昔、The glory that was Rome、
Be動詞をいれて過去にして、それは..is of another dayと表現。
明日は明日の風が吹くというときによく使われる、”Tomorrow is another day” を
私は思い出してしまいましたが、その表現を使って、
is of another day、と表現。
4次元的な距離感を感じさせてくれて、言葉と音の芸術、音楽っていいなあ、と感じます。

I’ve been terribly alone
And forgotten in Manhattan
I’m going home to my city by the Bay

私はずーとひどく独りぼっちだった
そして(私は)マンハッタンでは忘れられる(ような存在。)
私は家に帰る・・私の街へ(サンフランシスコ”ベイ=サンフランシスコ湾、入り江”)湾のそばの・・
★サンフランシスコが丘の多い、素敵な場所。観光名所としても名高いサンフランシスコ。
そして、サンフランシスコといえば、あの有名な ”ゴールデン・ゲート・ブリッジ”ですよね。
「世界一美しい橋」と称されることもある橋。
朝には霧がかかることが多く、その景色は多くの人々を魅了し続けています。
アメリカでも人気はトップクラスの観光地。そのサンフランシスコと、
超都会のマンハッタンという2つの場所を対照させて、
聴く人の気持ちをサンフランシスコという美しい湾の街、霧の街へといざなうところが、
私は好きです。💛

I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me

私は置いてきた・・私の心を サンフランシスコに
高い丘の上に、それが僕を呼んでいる
★サビ、サビ・・超かっこいいです。
マンハッタンでひどく寂しい思いをして忘れ去られてたけど、僕の心はサンフランシスコに置いてきたんだ・・小高い丘の上だよ・・その心が僕を呼んでいる・・
ああ・・サビのメロディとともにさわやかな哀愁!

To be where little cable cars
Climb halfway to the stars
The morning fog may chill the air
I don’t care

小さなケーブルカーがあるところにいるために
星々への道を半分 登っていく
朝の霧が、空気を冷やすこともあるところ
私は気にしない
★To be..そこに自分が在るために、日本語だとそこに戻るためになっちゃうかもしれませんが、
とゆっくりとトニーベネットが歌いあげるところが、
感覚的には、To Be..といいったところで、魂はサンフランシスコの情景に浸ってしまいませんか?

丘を登りおりするケーブルカー・・長い大きな路線電車のようでなく(笑)、
欧州にもケーブルカーは多いですから、サンフランシスコの観光客も喜んじゃう
あの1両編成💛の小さなケーブルカー。

それが丘を登るとき、気持ちとしては星々への道を登っていくよう★
そして朝の霧が”Chill”ですからかなり寒い。cold より、ヒヤッとブルブルとくるような、
寒さですよね。

私も10代のころサンフランシスコに少しいたときは・・
朝はセーターのカーディガンをきてあるいて行って、帰りはTシャツというときがありました。
霧があることが多いですね。

そして ”I don’t care.” とちょっと強くトニーが歌いあげるところが次のMy love・・
につながって対照をなしていい感じを出してます。

”気にするもんか・・そんなのへっちゃら” 僕のサンフランシスコへの愛は・・もっと壮大で深い・・・と言わんばかり、と私は感じます。
素晴らしい感情とともに歌がながれていきいます。
My love はその流れで聞くと、私のサンフランシスコへの愛、とも聞こえませんか。

My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea

私の愛がそこで待ってる サンフランシスコで
あの青い風の海の上空に
★My loveを愛する人と解釈するか、自分のサンフランシスコへの愛と解釈するか、
たぶん人それぞれ、また両方をかけているんでしょうね、と勝手に解釈しています。

そこが、また詩的な味わい感がでて、いいと思いませんか?

Above “the” blue and windy sea ..確かに青いですよね・・・サンフランシスコ湾は。

風も強かったりする・・・その上空で・・僕のサンフランシスコへの愛がまっているんだ・・・
って感じに私には聞こえます。

When I come home to you, San Francisco
Your golden sun will shine for me

私があなたのもとへ戻ってきたら、サンフランシスコ、
あなたの金色に輝く太陽が私のために輝いてくれるだろう
★この”あなた”はサンフランシスコを擬人化してて、サンフランシスコ、と呼び掛けているように
歌い上げるところがめちゃかっこよく聞こえます。

そして、クライマックスの ”Your golden sun will shine FOR ME”  で終わります。
ああ・・最高。

最初、マンハッタンでひどく寂しく忘れ去られてきた・・でも故郷のこの街サンフランシスコは、
金色に輝く太陽が輝いてくれているんだ ”私のために~!!” と。💛


トニーべネットさん ニューヨークで天国へ?死因は? アルツハイマーを患っていた・・ といえばスティングの・・

スティング英国歌手がレジェンド(伝説)と呼ばれる中、24歳年上の米国歌手も同じくレジェンド!

そのトニーべネットさん 「霧のサンフランシスコ」 ニューヨークで95歳の人生を全うされましたが、死因は不明と発表されています。

ただ、アルツハイマーを患っており、2年前に引退を発表しております。
アルツハイマーのすごさは、レディーガガでの最後のトニーへのメッセージにも表れています。

レディー・ガガさんのメッセージはこちら👉(全簡約と解説付き)
だからこそ、レディー・ガガさんとのデュエットで時代を超越した素晴らしさをだすことができたのかもしれませんね。

ちなみに、アルツハイマーというのは・・
・記憶障害と錯乱・家族と友人の認識の困難・手作業が難しくなる・幻覚や、妄想など・・・

私も祖母が私のことが認識できなかったときは、寂しかったです。
でも、おばあちゃんは小さい頃本当に私の世話をしてくれて・・・
小さな私はお母さんとの記憶と混乱していた時期もありました。

アルツハイマー・・なくなってほしいですね。💛

そのような中でトニーは最後の最後まで彼の使命ともいうべき、音楽をこよなく愛し、
幼少のころの決して楽ではない生活を通して知った、人の心の温かさを、
彼のあったかい、素敵な歌声に表現して、
この世に贈り物として私たちに送ってくれたのかもしれませんね。

そして話が戻りますが、アルツハイマー・・といえば・・

スティングとアルツハイマー

アルツハイマーというと。。。スティングがカバーした・・オーティス・レディングの
「ドック・オブ・ザ・ベイ」(原題:Dock of the Bay)
(入り江の波止場)をカバーしたことを、私は思い出します。

スティングがカバーした「ドック・オブ・ザ・ベイ」を知りたい👉こちら

スティングの最新アルバム:ザ・ブリッジ(The Bridgえ)

2021年11月21日にリリースされましたが、それに先だってプロモーションビデオとして、
日本時間の毎週火曜日10時に2分程度の動画を配信していました。

配信された動画は8つ。そして今年第2弾としてエピソードだけされました。その中に・・・です。

その第1弾の中のエピソード2(第2番目の配信動画)で、スティングが、
アコースティックギターを抱えて、語る部分があります。

その時に彼が、「研究によるとアルツハイマー認知症を患っていると、
子供の時に覚えた昔の歌は覚えているそうなんだ。

ニュースや自分の子供たちよりもよくね・・・・

それで、思い出す曲、思い出したい若い頃の曲と言われれば、
もちろんこの曲、オーティス・レディング(Otis Redding)のドック・オブ・ザ・ベイだね」と・・

と語っています。それで私、アルツハイマーときいて、
このことを思い出しました。

さらに、スティングは、2013年にアルツハイマー協会のプロジェクト「Music Moments」に参加しています。

そのそのビデオでも、奥様のお母さまが時期尚早のアルツハイマーでお亡くなりになり、
”悲劇的で非常に怖い病気だと思うし、我々全員が患う可能性を秘めているわけで、現段階でできる研究があるのであればそれは重要であることは言うまでもない。”と語っています。

今回トニーベネットさんは死因は不明とされていますが、
アルツハイマーを患っていたということで、ある意味、
最後の数年間は・・けっして容易ではなかったのでは・・

そして96歳の人生を全うされて、天国へ旅立ちました。

多くのかれが携わった音楽、かれが語った歌として
メロディーとして・・彼のサウンドで
この地球を本当に豊かにしてくださいました。💛・・・

代表作は、1962年に「霧のサンフランシスコ」「思い出のサンフランシスコ」とも呼ばれてる
(原題:I Left My Heart In Safrancisco) (サンフランシスコに私の心を置いてきた。)になりますが、
トニーの最初のヒット曲は、スティングが生まれた年の1951年、
ビコーズ・オブ・ユー(原題:Because Of You)。

実はこの曲、トニーベネットさんが死の2日前にピアノの前で歌った最後の曲だったそうです。

この最後に歌った曲については👉こちら

 


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